7月8日、郷士くんの新衣装のお披露目が行われました。
十津川温泉郷「源泉かけ流し宣言」と「紀伊山地の霊場と参詣道」
世界遺産登録10周年記念として、村を盛り上げようと、
村のマスコットキャラクター
「郷士(ごうし)くん」の衣装が新しくなりました!
(2014年7月8日 撮影
心身再生の郷づくり実行委員会のメンバーと十津川村役場にて)
「10周年特別観光大使」として大活躍の郷士くん
村長さんからも大激励
新衣装の郷士くん カメラにポーズ!
十津川村にぜひお越し下さい!
「郷士(ごうし)くん」の名前の由来となった
「十津川(とつかわ)郷士(ごうし)」とは・・・
昔は、およそ60の村を総称して十津川(とつかわ)郷(ごう)と呼ばれていました。
郷民は古来から狩猟生活が中心であったことから弓矢に優れ、神武天皇を八咫(やた)烏(がらす)として大和まで先導し、壬申の乱(672年)では天武天皇を支援したと伝えられています。これらの功績で無年貢措置を受け、これが郷の伝統となり、それは明治6年の地租改正まで続いたのです。
中世、郷民は一種の武力集団として、その存在は重視され、近世では文禄4年(1595年)の紀州山地村一揆や慶長19年(1614年)大坂の役に呼応した北山郷一揆を鎮圧するなど、十津川郷士の呼称が徐々に世間に知られるようになります。もちろん大坂の役にも十津川郷は徳川方として参戦しました。
幕末には200名近くの十津川郷士が交替で京都御所の守衛をしていました。文久3年(1863年)朝廷から「菱(ひし)十(じゅう)」を賜り、それが十津川郷の郷章となって、今日の村章に、そして明治22年の水害で北海道へ移住した「新十津川町」の町章にもなっています。また、元治元年(1864年)には、孝明天皇の内勅によって郷塾「文武館」を開校、現在の県立十津川高校の前身となって、県内では最も歴史の古い高等学校となっております。
これら十津川郷士の功績を称え、末永く後世に伝えるとともに、村の活性化を目指すこと(心身再生の郷づくり)を目的に、「郷士くん」のイメージキャラクターを作成しました。
(十津川村ホームページより)
十津川村のマスコットキャラクター郷士くん出演依頼はこちら